月刊 野宿しようぜ

凛メンバーブログ

ガルパンの映画




アニメの話をしよう。


守備範囲の広さと、懐の深さ、柔軟な適応能力を兼ね備えてこそ、
真のロッカー。


それは、気難しい話や、ややこしい計算、押し付けの考えを排した
一切の打算や思惑を凌駕した所に存在する
純粋な好きと言う感情。

その好きは、誰に邪魔されることの無い
自分だけの感情なのだが、
共感を願うのは愛嬌だ。


たまたま、音楽とバイクとアニメ好きと言うわけであって、

旅と煙草と美味しい料理が好きなことと
何も変わらないのだ。


女の子にモテたいとか、
お金が欲しいとか、

頭が良くなりたいとか願うのと一緒で、
ガルパンの映画が見たいと思うことは、
私の中の純粋な欲求だ。

前置きが長くなった。


ガルパンを見ると言うことは、
単に萌えを意識して見ることではない。


見ているうちに、戦車に対して知識が広がり、
終いには
世界の戦車がよくわかる本まで購入する始末。

なお、戦争映画のオマージュもふんだんに散りばめられた
監督及びスタッフのガルパンに対する愛がヒシヒシと感じ取れる作品なのだ。


彼女達を通じて、戦争を美化しているなどと
ヘイトな思想を持ち出すスットコドッコイな評論家も
確かに存在するのだろうが、
現に人工爆発一人っ子政策国家および、整形売春婦製造国は、公にガルパンを批判しているが、

的外れも良いところだ。

アニメはアニメ。
戦争は戦争。
イチイチ一緒に語っていたら、
アニメも戦争もまともな論点で、対話もできない。

と言うか、対話など出来ないのが今の現実だが。

まあ、いいや。


ガルパンにおける「戦車道」と言うのが、
乙女のたしなみと言うミスマッチ感が、
ガルパンの世界観を形成しているのだが、

元々人を殺すための兵器だった戦車を
見方を変えて、戦車道と言う武道と言う考え方で捉える事が出来るのは、
日本人独特の抜群の感性だと思う。


あれだけの戦禍に見舞われた日本において、
全てを呑み込んで昇華された教訓が、
ガルパンと言う形に変化して、娯楽にまで変えてしまう強さ。


それが日本人の恐ろしさであると思う。


話が逸れた。



ガルパン映画において、ビルマの竪琴が流れるシーンがあったり、
二百三高地について触れたりする。

世界の戦史を垣間見れる。


まあ、兎に角難しい事はいいから見ていただきたい。


がっつりハマる事、受け合いである。


しかし、チハ単学園の福田が、
私は大好きなのだが、
みんな登場人物のキャラが立って面白い。


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  1. 2016/06/30(木) 23:36:17|
  2. コンボイ
  3. | コメント:0

第五回・僕とTAIJI



やっぱりXのデビュー前の渋谷公会堂liveにおける
TAIJIさんの存在感はぱない。


最初はスナックのママみたいだな~とか思っていたが、
そんなどーでも良いと思える程、
佇まいがロックだった。

TAIJIさんが脱退するX後半は、
バイカースタイルの姿と、ハットにサングラス

この姿が似合うベーシストは、TAIJIさん以外に居ないと思う。


その後、ラウドネスに加入し、まさに夢のハードロックオールスターズとなるわけだが、
スーパーギタリストでもあるTAIJIさんは、
水を得た魚の如く、ラウドネスに溶け込んだ。


高崎晃さんの完全コピーをしていただけあり、
呼吸やタイム感がバッチリで、
すごく楽しそうにプレイするスタイルが、印象的だった。


その後、DTRを結成。
アメリカハードロックな感じが、新鮮だった。


キングスという、バンドもやっていて、
ボーカルはナイトホークの青木さん、
ギターはルーク篁さん、
ベースはTAIJIさん、

ドラムは確か宮脇joeさんと言う

凄まじいメンバーで、1枚だけアルバムを作ったのを、
予約して買った。


それくらいTAIJIさんのベースにはまった。


格好も、演奏スタイルも。


今は亡き日本人最高のロックベーシスト、TAIJIは、
今も我々の心のなかに生き続けている。


hideさんとTAIJIさん。

Xで、一世を風靡した二人は、
余りにも早すぎる死であって、
悔しくてならない。


  1. 2016/06/29(水) 22:47:58|
  2. コンボイ
  3. | コメント:0

第四回・僕とhide



ハイドユアフェイス


と言う名盤がある。


俺の無人島ベスト10に入る素晴らしい作品だ。


TMスティーブンス

テリーボジオ


と言う、強靭なリズムセクション

そこに、hideが加わる。


バラエティーに富んだ曲の数々。


直接影響を受けたのはライブツアーのビデオを見たときだ。


ベースにはチロリンさん。

モヒカンをねかせたパンクスでありながら、
ファンキーなベースもしれ~っと弾き倒す。


佇まいも、ステージパフォーマンスも
俺が思い描く理想の姿だった。


hideさんの作る曲はヒットチャート受けするような、ポップでありながら、
根本のロックな部分がぶれていないのが素敵だった。


XJAPANと言う、強大なバンドでギターを弾くhideさんも
とても魅力的だったが、
その忙しい活動の合間に、作り上げた曲のはずなのに
クオリティーは半端なく高かった。


コピーして、歌も覚えて、
どっぷりハイドユアフェイスを堪能した。


パンクス気取りで、斜に構えて、
気に入らないモノには噛み付きまくっていた俺は、
バンドのエンターテイメント性の大事さを学んだ。


ただ、バカみたいに唾を吐きまくっていても、
誰にも伝わらない。


そこには真摯な人間と言うか、
音楽に向き合う姿勢が学びとれる

と、同時に、

本来音楽の持つ意味で、楽しくて仕方ない感じが伝わるアルバムだった。

未だに色褪せないハイドユアフェイス


たまに、無性に聴きたくなる。


  1. 2016/06/23(木) 00:49:59|
  2. コンボイ
  3. | コメント:0

第三回・僕とゆらゆら帝国



真夜中のライブハウス

ファクトリー


フジテレビにて放映されていた。


ナビゲーターは、小西康晴(ピチカートファイブ)


彼が声高に紹介する。


「ゆらゆら帝国です」



ファズの効いたギターがリフを弾く。


唸るベースと、甲高いスネアの音。


異様な3人が、爆音を奏でた瞬間だった。


曲は 発光体 と言う曲。

頭を打たれたような衝撃を受けた。


同じスリーピースである我々は、
又しても、トラウマ級のインパクトを植え付けられた。



当時の遠征に向かう車の中では、「3×3×3」が、ヘビロテされた。


大概は、ブランキーを聴きながらライブハウスに向かっていたのだが、
ゆらゆら帝国もラインナップに加わった。



何が凄いって、あの世界観。

ゆらゆら帝国と言う世界観が、当時の我々には鮮烈で
大いにインスパイアされたものだ。



蓄積していく様々な感性と、価値観の変化。


国内バンドの影響はダイレクトに受けていた。


この時期、
ナンバーガール
BUMP OF CHICKEN
ポリシックス
ブンブンサテライト

などのバンドが出現し、我々もニアミスしながら刺激を受けていた。


個性がぶつかり合う新たな価値観が産まれそうなエネルギーを含んだ
失われた10年

エバンゲリオンが、テレビアニメ化されて
大人気になったとき、
サブカルチャーも又、新たな段階へ移行していたんだろう。


そんな時期にゆらゆら帝国がもたらした
原点回帰的なアプローチは、
堪らなく新しかった。


  1. 2016/06/20(月) 23:39:34|
  2. コンボイ
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第二回・僕とミッシェルガン



モッズと言われる人達が、イギリスの音楽とファッション文化に居た。

ボブカットにスーツ、
スクーターにミラーをたくさんつけて乗る。


theフーや、ジャム、ドクターフィールグッドなんかはモッズと言われるのか?


まあ、ファッションと音楽は
今よりももっと深く結び付いていた時代。


日本において、
グループサウンズや、漫才、演歌などで背広を着る人達は居たが、
あくまでも背広のイメージだったわけで、

東洋人の背広は、なんかやはりロックじゃねえなぁ~とか、
思っていたんだけど、


ミッシェルガンエレファントの登場で、
背広が、スーツとして、日本のロックアイコンに組み込まれたのは
これは実は凄いことなんだよな。


しかも、登場曲はルパン三世80と言う渋さ


もはやこれだけでも、日本の歴史に残るロックバンドなのだが、

彼等の出す音の素晴らしさ

スリーコードロックに、シニカルで皮肉たっぷりな歌詞

そしてボーカルの歌声が特徴と言う、
バンドマンなら聴いていて、悔しくなるような武器をたくさん持ったバンドだった。



例に漏れず、下北に有ったハイラインレコードだったっけ?
に、行って、
デビュー前の音源を漁る始末。


栃木にも来たミッシェルガンエレファント。


同じステージに立つことが出来ると言うので、

ファーストに入っていた
「世界の終わり」をコピーしたっけな~。


そしたら、ミッシェルガンエレファントは、翌日のステージだったと言うオチ


で、

当日のステージには
sexマシンガンズが、まだデビュー前で、
ミカンの歌とか、さそりとか、デビュー前に聴けてなおかつあんちゃんからサインを貰ったんだよな。


話が逸れた。


ミッシェルガンエレファントの登場で、
益々自分のスタイルが混迷を極めていき、
行き着く先は、服を脱ぐしかない!
と、結論に達していくのだけれど

徐々にはげし目の路線から、
ハッピーエンドや、日本語ロックの聞かせ路線をやりたがっているのが解ってきて、

自分のやりたいロックと、バンドとのギャップが広がり始めたのもこの頃だったのかな~


それぐらいミッシェルガンエレファントの登場は、
こんな田舎のバンドですら悔しくなるような
凄まじい衝撃だったって話し。


  1. 2016/06/20(月) 15:14:11|
  2. コンボイ
  3. | コメント:0

第一回・僕とブランキー



ブランキージェットシティーとの出会いは、
それはそれはセンセーショナルだった。


こんなにカッコイイバンドが、日本に存在したと言う事が、
もうそれだけで奇跡だった。


確か、(幸せの鐘が鳴り響き僕はただ悲しい振りをする)

と、言うアルバムだった。

青い花
風になるまで
3719

素晴らしい曲が沢山入ったアルバムで、凄まじくステレオからヘビロテしていた。


ZARDバンドが解散と同時に、ペパーミントキャンディーズと言うバンドを結成。

初期はブランキージェットシティーのコピーバンドをやっていた。


だが、私はまだハードロックや、メタルにも強い興味を示していた。


真逆とまでは行かないが、路線が違うジレンマに数年悩まされた。


ブランキーと共にニルバーナにも嵌まる。


と同時に益々ジレンマに苛まれる。


ヘビーなロックをやりたい気持ちと、ブランキーやニルバーナみたいなカッコイイ音楽をやりたい気持ち。

更にはオアシスとブラーの登場と共に、
ストーンローゼスにどっぷり浸かる。


もはや、収拾がつかないほど、オリジナルバンドにどう反映したら良いのか解らなくなっていく。

自分のキャラクターの迷走である。


そして、ある日決意する。


「もう、俺は一生ピックは使わない」


早い曲が辛かったが、徐々に指が動くようになる。


ブランキーの曲も指弾きし、
ニルバーナも指弾き。


そして、オリジナル曲においても全て指弾きに変更する。


レッチリは、それほど聴き込んでいなかったし、ステージングも知らなかった。


自分の指弾きスタイルを模索し、
まあ、大いにアイアンメイデンのスティーブハリスのステージングと言うか、
ガンズのダフマッケイガンのステージングが混ざった感じになるのだが。

そこから、永遠の憧れであるブランキーに追い付きたいと、
ペパーミントキャンディーズの活動に本腰を入れることになる。



はじめのうちは、フェルナンデスの魔改造ベースを使用していたが、

クリーム色のフェンダープレジションベースデラックス95年を
購入したのだった。


このベースとの出会いが、
俺のベース人生を豊かにしていく。


  1. 2016/06/16(木) 22:33:12|
  2. コンボイ
  3. | コメント:0

ベース馬鹿一代記~あの日僕は初心者だった編~10



「どうした!?割れ目から血が出てるぞ!?」


俺はギター1に言った。

キャツは頭の割れ目に手を当てるとこう答えた。

「ああっ!!スプレーで割れ目まで塗っちまった!!」



パンクスの我々は、髪の染めかたが解らない結果、
間違った方向にシフトされていた。


俺はと言うと、


ロン毛を針金で縛り、
髭を生やし、
半ヘルでドラッグスター400に跨がり、

フェルナンデスの魔改造ベースを弾くと言うさま。


格好だけはつけていた。

ロン毛をオキシドールで脱色し、
ヒッピーの様になっていた。


音楽性と間違った方向にシフトされていた我々は、
その異様な風貌とは裏腹な優しい音楽。


それを持ちながら、クリスマスライブを行う。


ホワイトクリスマス。


その夜、
延べ20曲以上のワンマンライブを繰り広げた。

打ち上げは、地元のラーメン屋さん。


よく覚えていないライブは、
いいライブだと相場は決まっている。


ぶっちゃけ、よく覚えていない。


ここから、加速し、
更に卒業ライブへ向けて進み出す。



初心者時代


それは一概に時間で縛られるものではない。


一年経過したから初心者卒業とか、
決められた期間で初心者が終わるわけではなく、
誰かに宣言して初心者を終われる訳でもない。


だから、永遠に初心者だとも言えるし、
ベースを人前で弾けるようになったら初心者卒業だと言っても、
それはそれで良い。


明確な形が無い以上、自分で自分を客観視して見極めなければならない岐路に立ったとき、
初めて初心者を卒業できたのだと思う。


まあ、曖昧なものが音楽であって、
形が決められていない自由な表現が音楽だ。

それを誰かが形にしたものをコピーして、同じように演奏出来るようになって、
やがてオリジナル曲を作れるようになった時には、
もう、初心者ではなくアーティストなんだろうな。


だから、誰も畏れず曲を作り出していけば良い。

そして、作った曲をどう沢山の人に伝えられるか、
自分達がどうしていくかを考えれば良いんだと思う。



私が初心者時代にイメージしていた自分に、
成れているのだろうか?

自問自答は続く。







  1. 2016/06/14(火) 22:17:33|
  2. コンボイ
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ベース馬鹿一代記~あの日僕は初心者だった編~9





写真はタバコサイズのABBOX



歌を歌いながらベースを弾くのって、
難しいが、楽しいと言う。

しかも、大好きなボウイの No.NY
と言う。


さあ、ベースを股間まで下げてピックで掻き鳴らすように
シャウトするのだ!


「はい、にゅーよーく♪にゅーよーく♪アイツを愛したら、にゅーよーく♪にゅーよーく♪星になるだけさ~♪」


汗が輝く。


俺、今、充実してる感。

「はい、じゃ~次」


無情にもドラムが言う。

ドラムは氷室のangel


ギター1はミスチルのイノセントワールド


ギター2はT-BOLANのバイフォーナウ


これが1人1曲の課題曲

で、キーボードの女子とボーカルの女子は

二人でシャンプーと言うユニットのdeliciousと言う曲。


中々にのりが良い曲なので、我々カラオケ部隊はノリノリで演奏した。


ここに至るまでに、結構なボツ曲を記録した。


リンドバーグは5曲。
ZARDは8曲。
ジュディマリは小さな頃からと、ハローオレンジサンシャイン、パウダースノーの3曲。

当時、ギター2とボーカルが付き合いだしたので、
クリスマスサプライズプレゼント曲、

世界中の誰よりきっと

と、

いつかのメリークリスマス。


ボウイに関しては、ラストギグスを全てコピー。

愛のためにとか、素晴らしい日々とかもコピーした。


わずか、数ヶ月の間に膨大な曲をコピーした我々は、
確実に演奏技術を上げていた。


当の本人達は、ただただ楽しくて楽しくて、
兎に角渇いたスポンジの様に吸収していった。


指も強くなり、チョッパーのコツも掴みつつ、
それぞれが技術的に上達していた。



クリスマスライブにやった、
ZARDのきっと忘れない
は、
バンド人生においても忘れられない演奏になった。


きっと忘れないだけにぃぃっ!!!


…………。


ジュディマリの小さな頃からも、
情感たっぷりに演奏できたかな。


まあ、今聞いたら笑っちゃうくらいに下手かもしれないけれどね。


さて、次回はクリスマスライブ、
ギター1髪の割れ目流血事件について話したいと思う。


え?


初心者だった編なのに、
全然ベースについて話していないし、
しかも思出話になってるって?


ようは、技術なんざいらねえの!

ベースと言うか、バンドで皆で合奏することが
上達の早道で、自分達がどれだけ楽しいのかだけ。


最近はネットミュージシャンが、
クリエイターとか言って動画をアップして
再生回数を叩き出して修練しているけど、


んなものが無かった当時でも、

鬱積する自己の表現は誰かと協力して実現したり、共有するのは今も昔も変わらないんだろうな。
  1. 2016/06/13(月) 22:24:45|
  2. コンボイ
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ベース馬鹿一代記~あの日僕は初心者だった編~8



レコーディングと言うのは、
なにもスタジオだけでやるものではない。


ドラムの家でカセットに落とすのも、立派なレコーディングだ。


マイクを2チャンネルに分離して、
レコーディングを行う。
まあ、練習を録音して、聞き直しすると言う意味で行うのだが、

これが何気にきちんと録音できた。


ギターエフェクターのコーラスが、ステレオアウトになっていて、
ボーカルを繋いでラジカセに直と、
アンプから歌を出す。

バンドはマイクを一本床に置いて、
ドラムに寄せる感じで置く。


するとあら不思議、
ラジカセのマイクゲインを上げると、中々に良い音で録音できた。


ラジカセMTRが普及し出した頃、
古い機材で先端の録音技術が存在していた(笑)


仮に、インプットがメンバー分在ったなら、
ラジカセMTR並のクオリティーで、一発録音出来ていただろう。


悔やまれるが、
初心者なりに創意工夫で楽しんでいた。


練習中の話し声とか、
それこそ家族が入ってきて練習中断とか、
ハプニングも、聞きながら楽しんでいた。


やはり、録音練習を繰り返すと上達は早くなる。

まあ、メンバーの向上心にもよるのだが、
間違った部分や、プレイヤーしか解らない部分の矯正やら、
歌のピッチや強弱や、そう言った部分を修正して次に活かせる。


それでいて、後片付けの時にラジカセをかけながら楽しんでいる。


みんなで食事を取りながら聞いたりする。


大体毎週日曜日に、ドラムの家に集合して、
練習をやっていたんだが、
よく家でやるのを許してくれたな~と、
たまに奴の家族に会うと、変にかしこまってしまうのだから、ありがたかった。


学校で練習させてくれても良いのに、
当時はなかなかバンドに偏見を持たれ、
トルエンやタバコ、お酒などの問題が後を絶たなかったので、許可が下りなかった。


女性ボーカルなんだし、良いじゃん!


とか、思っても、
素行の悪いのが居て、隠れ蓑の様に立ち振る舞うと判断し、
余計に学校も警戒したのだと思う。


初ライブが終れば、
次はクリスマスライブ。
それに向けて、
我々は1人1曲を目標に、頑張るのだった。


  1. 2016/06/13(月) 00:53:16|
  2. コンボイ
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ベース馬鹿一代記~あの日僕は初心者だった編~7



鍛え抜いた指を、
棒やすりのような弦で磨り減らし、
血豆がライブ中にぶっつぁけた(栃木弁)

結果、白いTシャツにコーヒーの染みと血の染みが
センセーショナルだった。


「俺、パンクスじゃん……」


初ライブに酔う。


シドビシャスの様に、白いフェルナンデスのベース(お年玉で買った)が、
尚更ビシャス感を醸し出す。



その後、ウイスキーを打ち上げで呑み、
私は記憶を無くしたのだが、
指の痛みだけは残っていた。


後日、ライブビデオ試写会において、
メンバーがそれぞれ自画自賛の阿鼻叫喚に陥ったのは、
初心者ならではの話し。


当時、ユニオン通りに中古レコード店があり、
俺はKAWAIのレスポールベースが欲しくて、

なぜ、レスポールベースだったのかと言うと、
ジミーペイジのレスポールを股間で弾くイメージ写真を見たからなのだが、
売り切れていたので、フェルナンデスのベースを購入する事になった。


フェンダー系の大きいペグが、当時好きじゃなかった俺は、
ペグが小さくてレスポールぽくね?
と、変なところで納得して購入したのだった。


てか、セットで買った黒いベースはどうしたのかと言うと、
楽器初心者にとって、何がそもそも重要かと言うと、
ネームバリューである。

つまり、ブランド至上主義が技術よりも重要なのだ。


だから、マッドアックスと言う
邪悪なブランドの名前よりも、
フェルナンデスと言う説明不要のブランド力に、
魅力を感じていた。


俺の初心者時代、因にそれから数年。

俺はこのフェルナンデスを愛用するのだが、
プレべのピックアップと、ジャズベのピックアップが搭載された
今でもこのレイアウトのベースを愛用する
俗に言うPJタイプのベース好きは、
このフェルナンデスで培われた事は言うまでもない。


で、KAWAIのレスポールベースを
お持ちのかたは、是非ともお譲り頂きたい!

マジで!!


やがて、我々は歌いたくなって、メンバーが1人1曲歌うと言う次の段階に移行する。


因に、ジュディマリもコピーする事になるのだが、
全員が徐々に技量を上げていたのは、
我々は全く気付いていない。


ただ、ただ、
バンドが楽しい。


それだけだった。

  1. 2016/06/07(火) 19:03:10|
  2. コンボイ
  3. | コメント:0

ベース馬鹿一代記~あの日僕は初心者だった編~6



ライブと言うものは、ライブハウスでやる
ばかりではない。

企業の食堂でやったり、
結婚式場を借りたり、

ホテルでやったりするのも、ライブの醍醐味だ。

学園祭?

なにそれ、美味しいの?

県北のライブハウスなど、当時は皆無。


宇都宮なんか、敷居が高すぎる。

で、先輩達はルンビニでライブ機材を借りて、
公民館とか体育館を借りてやっていた。


別名、パンチパーティーと言われた。


我々の初ライブは、企業の食堂である。


ライブに向けて、勘違いしたロックな格好を極めて、
で、ZARDつーことで

白いTシャツにブルージーンズ(笑)

と言う、

極めて模範的な格好に落ち着く訳なのだが、

ドラマーは、「白いTシャツは、なんか宗教団体みたいだから嫌だ!」

と、言う理由で、黒っぽいシャツ。だった。


缶コーヒーの空き缶を使った、ボトルネック奏法を披露した俺は、

白いTシャツが、コーヒーで染みになると言う、
ロックな感じになったのは、言うまでもない。



さて、先達指弾き少女に衝撃を受けた俺は、
カンセキでスプリングを2本購入して、
家の柱に釘付けして、2本の指で引っ張ると言う、そんな訓練を開始した訳なのだが、

これが大リーグ養成ギブスみたいな感じで、俺の指の力は飛躍的にアップした。


ゆっくりした曲なら、指で弾けるようになったのであるが、
いかんせん指先のタコが痛くて痛くて仕方ない。
左手も弦の溝が現れて、風呂場でふやけると完全に弦の形が浮き出るって言う。


右手のタコを維持するために、石に指を打ち付けると言う、少林寺並の訓練を開始した。


やがて努力は実り、タコが硬くなっていく。


この辺で満足して、ピックと指を使い分ければ良いのだが……。


指弾きは、目一杯力を入れて弾くから、あっという間に血豆になる。

尋常じゃないくらい痛いし、指弾きの練習が中断してしまう。


だが、それを見ながらニヤニヤしている俺は、

SかMか解らない異常な感情に陥ると言うのが、
サイケと言うことなのだという、
脳内変換が発生する。


つまり、ロックは普通な事をしないと言う生きざまで、
サイケとは、様々な感情を肯定すると言う内面の葛藤を具現化する。

ブルースは、抑圧された人生を吹き飛ばす光の見つけかた。

のような、

大くくりで、直接音楽とは関係無いジャンルのビジョンが、
俺のなかに構築されていった初心者時代。


こうして、くそったれベーシスト、コンボイの根幹をなす音楽が脳内召喚されていくのだった。




余談だが、

凛において、と言うか、オリジナル作品を作るにあたり、
ベースをのせる前の曲のイメージにおいて、

この曲はジャズっぽいかな~とか思うと、

ジャズと言うイメージのモンスターを脳内に召喚する。


そのジャズモンスターは、更にコルトレーンだとか、マイルスだとかの幹部達を呼び出し、曲に魔術を施す。


そんな風に、脳内に召喚した音楽ジャンルのモンスター達は、常に俺に力を貸してくれる。


彼らへの餌は、色々な音楽を聴かせる事だ。


みたいな、中2な話し(笑)


  1. 2016/06/06(月) 18:17:11|
  2. コンボイ
  3. | コメント:2

ベース馬鹿一代記~あの日僕は初心者だった編~5



リンドバーグのコピーをするにあたり、
ベースの川添さんのベースラインは、とても勉強になった。


ピック弾きにおいて、曲のドライブ感が、
スコアではなかなか伝わらないと言う、
耳を鍛えるためにも、耳コピーでドライブ感を学ぶ必要があった。


まあ、当時の俺は「なんか、タブ符と違うな~」程度にしか思っていなかったのだが、

自然と意識することによってドライブ感が養われていったのだろうか?


まあ、いいや。


とにかく何気に食う感じとか、グリスサンドの入れかたとか、
スタッカートの感じだとか、
勉強になった。



話は変わるが、ロックっぽいものを取り入れて、最早珍妙な出で立ちに変貌していた俺は、


イングヴェイのライブに行き、
ライブ会場の外で売られていた非公式のグッズを大量に購入した。


ガンズのステッカーを、ベースのソフトケースに貼り、
イングヴェイのギターチョーカーを首からぶら下げ、
オリオン通りで売っていた紙粘土シルバーのブレスレッドを巻いて、
スラッシュの帽子みたいなのを被り、
当時購入したベースを、バーナーで焼いて、ビールの王冠を打ち付けて、
ザックワイルドみたいなギターに憧れて、ベースに魔改造を施していた。


因にストラップは、戸締まりをする為の鎖。
これが重くて、凄まじく嫌になった。
けど、そのチャンポンな出で立ちこそが、
ロックなんだべと、信じて疑わなかった。


ちゃんちゃら笑ってしまう話であるが。


やってるのはリンドバーグなのに(笑)


ジュディマリの足音が聞こえたあの日、

ようやく、今すぐキスミーが間違えないで弾けるようになった頃だった。


  1. 2016/06/05(日) 23:18:14|
  2. コンボイ
  3. | コメント:0

ベース馬鹿一代記~あの日僕は初心者だった編~4



エフェクターを使うと、ギターが弾きたくなるのが人のつね。


しかし、貧乏学生にとって、ギターはお下がりのアコギ(ネックの調整不能)しかない。


だので、バンドメンバーのギターを借りて練習の合間に弾かせてもらう。

ほら、俺のピック(なんかやらしい……)はコインを潰したヤツだから、
ベース弾いた後に変な溝みたいなので、
ギターの弦に引っ掛かるわけ。

で、

ベースを弾くくらい強く弾いていると、
あっさりギターの弦を切ってしまうというね。


なので、段々弾かせてもらえなくなる。


俺、フラストレーション。


メンバーは、弦を切られるからフラストレーション。


バンドのギターがマルチエフェクター買ったときは、
狂喜したね。

ただ、機械に弱いから使い方が解らなくて、
全てのエフェクトが掛かったままと言う、究極にうるさい状態。

でも、そう言うものだと思っているから、
曲でその状態で弾くんだけど、ハウリングしまくって、全然聞こえない。

我々のマルチエフェクター嫌いは、この時の体験から生まれた(笑)


今でこそ、使い方も解るのだが、
毛のはえたての初心者には、いかんせんハードルが高かった。


ただ、アレを使いこなせれば、ZARDにおいて強い味方になったのは言うまでもない。


徐々にマルチを使いながら、
リンドバーグを弾き始める。


リンドバーグのアルバムは、
1から4まで出ていた。

スコアも何故か3と4があった。


これはコピーしないとなと、
今すぐキスミー
ビリーブインラブ
サンセットブルー
等に着手する。



俺はある昼下がり、
家の茶の間で、テレビを見ながら涅槃していたのだが、
教育テレビを見ていて衝撃を受ける。


そこには、小学生くらいの女の子が、
赤いフェルナンデスのベースを、指弾きしながら笑っていると言う、
怪奇だった。


このロックの申し子であるはずの俺が出来ない指弾きを、
こんなに可愛い女の子が、あっさりと出来て弾いているとは!!!


打ちのめされた気分だった。


そう、この衝撃から
指弾き養成ギブスを利用した、
地味で痛い指弾きの修行が始まるのだった。

  1. 2016/06/02(木) 19:11:19|
  2. コンボイ
  3. | コメント:0

ベース馬鹿一代記~あの日僕は初心者だった編~3



コインピックを作ってベースを弾いていると、
アタックがギラギラした音になるのだが、

初心者の私には関係無い。

何故なら、潰れたコインで弾いてる俺、カッコいいとなっている。


この勘違いこそ、ロックなのだな。


ロックはスタイルから入らなければ、
ロックな音など出ないと信じていた時期。

ZARDなのに(笑)


facenoMOREと言うバンドのベーシスト、ビリーグールドの写真を見て、
その佇まいに心を奪われ、
Taijiの格好や、出す音を真似たり、コピーしたり。

ビリーシーンのタッピングに心酔し、無闇に練習したり、


やってるのはZARDなのに(笑)


兎に角、ロックっぽいと感じるものを貧欲に吸収していった結果、
なんか間違った場所に着地した。



そう、エフェクターの洗礼を受けるのだが、


初めて手にしたエフェクターは、
ディストーションだった。

このディストーションは、トーカイの鉄のかたまりだったのだが、
いまいち俺のベースにはいまいちだった。


で、次に使ったのはbossのターボオーバードライブだったのだが、
これにはまった。


世界中のミュージシャンが、絶対に一度は弾きたいリフの一つ、
スモークオンザウォーター
を、例に漏れずに弾いてみた結果、

ベースの太さに相まって、はまった。


コンボイは早弾きに、目覚めるのだった。


ZARDのコピーバンドなのに(笑)



早弾きに必要なのは、右手の重要さだった。

スケールもろくに知らないのに、
ただやみくもに指を動かす。

黙々と歪ませた音で、
オリンピックに出場するかのように、
ひたすら指を動かす。


あの日、あの独創的な発想で弾きたおしたベースのフレーズは、
今ならきっと素晴らしいのだろう……か?



私達は、リンドバーグのコピーにも移行していく。


  1. 2016/06/01(水) 22:47:39|
  2. コンボイ
  3. | コメント:0

プロフィール

凛

Author:凛
雷都・栃木県宇都宮市を中心に活動しているバンド「凛~Linn~」

愛と平和
そして何ちゃねぇことや、どうでもいい唄を、アルコールとけむりの似合うサウンドに乗せ、誰かに「ありがとう」を
って言われるようなステージを目指し活動チュ~

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